プロフィール

≪正式名称≫

中野区上鷺宮 かみさぎ舞鼓打人
 
≪目的≫
・ 子供の居場所、大人の遊び場所を創ります。
・ 上鷺宮町会、富士見台商店街と共に活動し、感謝を込めて踊ります。
・ 家族に感謝、働ける喜びに感謝を込めて歌います。
・ 「中野をエイサーの街にする会」に協力します。
・ 沖縄の文化、芸能の素晴らしさを体現して、近隣の市区町村に発信します。
 
≪プロフィール≫
2000年4月・・・仲順流り、唐船ドーイの録音テープで、パーラン鼓を叩き、上鷺宮の親子エイサーとして、タンメー翁が「かみさぎパーランクウチャー」を創設。講師にミヤギ師を招く。ミヤギ師は沖縄出身、東京エイサーシンカを経て、群星(むりぶし)リーダー。
 
2002年頃・・・ ビスケット缶でカンカラ三線を作り、かみさぎ歌三線会の前身を立ち上げる。このころから、麗子師を招いて、地謡のナマ三線演奏でエイサーを踊る。会名を『パーラン鼓打人上鷺会』(パーランクウチャーかみさぎかい)に改称。
 
2003年10月・・・「中野まつり」のパレードにて、初めてエイサーで行進する。(まだまだ、道ジュネーとは言い難い・・?)
 
2003年11月・・・初めて憧れの「チャランケ祭」に出場、『かみさぎエイサー』が遂に、エイサーの聖地・中野北口広場デビュー。
 
2005年6月・・・・富士見台の商店街でのエイサー道ジュネーが恒例化される。
 
2005年7月・・・・タンメー翁が中野の商店街に企画を提案して、「中野チャンプルーフェスタ」を立ち上げる。パーランクウチャー上鷺会は、中野サンモールにて一番手チームとして、道ジュネーの第一声を上げる。(その後、2011年第7回チャンプルーフェスタまで、道ジュネーの一番手チームを続けています)
 
2006年5月・・・・この頃から、「パーラン鼓から締太鼓へ切り替えたい!」という会員の意見が多くなったため、会内に併設というカタチで『エイサーユニット☆ゐなぐ組』を結成。地謡、大太鼓、締太鼓全員がゐなぐ(女性)のエイサーユニットでイベントに出演。
 
2010年5月・・・・「パーラン鼓打人上鷺会」結成10周年祝賀会にて、会名を『かみさぎ舞鼓打人』と改称して、締太鼓中心のエイサー団体として再結成して活動開始。
 
2010年11月・・・ミヤギ師が10周年を機に講師を引退される。10年間の不断のご指導に感謝。
 
2011年・・・・・・・パーラン鼓打人上鷺会の創設したタンメー翁と、技術的な指導をして頂いたミヤギ師、麗子師に感謝を込めて、かみさぎ舞鼓打人は、『かみさぎエイサー』のDNAを脈々と受け継ぎ、エイサー、沖縄民謡の活動を続け、現在に至る。